1178年、流罪の地から立ち上がった源頼朝は、ついに歴史の表舞台へと歩み出します。
当初は弱小勢力にすぎませんでしたが、遠く大宰府にて権力基盤を整え、少しずつ軍備を固めました。
源平合戦 -The Genpei War -
源氏陣営のトップに立ち、平家に対して「頼朝の太政大臣就任派閥」を組織。
頼朝自身がその中心人物となり、反乱の機運を高めて行きました。
機は熟し、遂に平家棟梁(♂)を寝取った頼朝。
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| 『あ、ありのまま 前回起こったことを話すぜ!(困惑)』 |
愛憎乱れる平家と源氏棟梁の戦いは、クライマックスを迎える!
※今回から、生成AIで下書きをして作成しております。Copilot君、ありがとう。
これまでのあらすじ
頼朝の歩み
※本シリーズでは、頼朝プレーを3度行っています。(1)始まらない源平合戦(頼朝Mk-1)
(2)やっぱり始まらない源平合戦(頼朝Mk-2)
(3)愛憎?の源平合戦(頼朝Mk-3)
(4)正統派源平合戦(頼朝Mk-3)←本記事
派閥の力が十分に高まり、要求を強要。
平家側がこれを拒否したことで、ついに反乱の狼煙が上がります。
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| 愛ゆえに人は苦しまねばならぬ! |
愛憎のもつれから始まった私戦では、決してありません!
戦役の流れと戦略・戦術
今回の源平合戦は大まかに、以下の流れで進みました。- 決起した関東戦線
- 北陸方面戦
- 畿内決戦
戦略
反乱開始直後の兵力はほぼ互角です。ただし、これは陣営全体兵力での話です。頼朝単独で指揮する河内源氏精鋭主力部隊は1500程度。対する平家は単独で1万近い兵力です。
正面からぶつかれば押し負ける可能性が高く、源氏の勝利はおぼつきません。 そこで、平家主力を本拠(平安京)から引き離し、防御が薄くなったところを占拠する作戦を取ります。
(ゲーム的には本拠占領で戦勝点50%、運よく当主や跡取りを捕えればそこで決着です。)
このために、『常備軍の精鋭部隊』と、『攻城部隊(徴募兵+攻城兵器)』の2部隊を編成しました。
相手に逆の手段を取られると不利に思えますが、伊豆の防御は固く、平家の攻城兵器は貧弱です。
このため、本拠地占領合戦となった場合はこちらが先にゴール出来ると踏みました。
戦術(勝ったな。風呂入ってくる)
敵兵力との差を縮めてから、決戦を挑む、漸減邀撃作戦を採用します。具体的には以下の通り。
- 敵軍分断と小規模部隊の各個撃破
- 大軍相手の場合、地形を活かした防衛戦の徹底
- 平家本体の補給枯渇を待ち、弱ったところを攻撃
また、勝算なしに敵主力に突っ込むことは避けます。
こうして敵軍を削ったところで、月月火水木金金のもう訓練を重ねた精鋭で攻撃すれば勝利確実!
なんてすばらしい作戦なんだ。え?旧日本海軍?
源平合戦開幕
関東戦線─疾風の如く─
1201年10月。反乱勃発に伴い、頼朝は伊豆で挙兵。畿内へ向かおうとする関東平家陣営軍の動きを読み切り、各個撃破を開始。 「敵が合流する前に叩く」 戦術は見事に的中。 合流前の平家軍を疾風のごとく急襲し、緒戦は勝利を重ねていきます。 これらの勝利と、目論見通りの流れは源氏陣営の士気を押し上げていきます。
北陸転戦─孤立した平家軍を討つ─
関東を制した頼朝は、次に北陸へと転戦します。北陸で決起した平家軍が、孤立状態にあることを察知したからです。
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| 約2000の兵力が立ち往生中 |
「畿内進出前に、後顧の憂いを断つ」
南条で敵軍を急襲します。 北陸の地で繰り広げられた戦いで、孤立した平家軍は次々と撃破されました。
後背の安全を確保した頼朝は、ついに平家本隊との決戦へと歩を進めます。
源平合戦閉幕
※以降、言うほど『畿内』で戦ってませんが…スルーして下さい…土岐の戦い─要塞戦─
1202年4月。畿内を目指す頼朝軍に、平家の主力軍発見の報告が届きます。 兵数では劣りますが、平家を迎え撃つ決断を下します。倍近い兵力を相手にすることになりますが、要塞に籠れば勝算は十分。
覚悟を固めた頼朝。ここに土岐の戦いが勃発します。 兵力差をものともせず、有利に戦を進める頼朝ですが、平家の後詰が迫ります。
対する源氏軍の援軍は合流が遅れ、戦線に決定的な乱れが生じます。
「退くぞ。ここで死ぬわけにはいかぬ」
約4000の損害を出すも、常備軍の損害を最小限に抑えた頼朝。
源氏軍は、秩序を保ったままの撤退に成功します。
退き口─陽動─
1203年1月。関東方面に一時撤退する源氏軍に、平家の執拗な追撃が迫ります。地の利を生かし、追撃の手を撒きながら再び畿内を目指す頼朝。
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| 戦勝点-22% |
山地で進軍の鈍った平家を嘲笑うかのように、敵本拠地の陥落に成功。
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| 戦勝点+9% |
野戦の敗北で不利となっていた戦況を、引っ繰り返しました。
志摩要塞戦─決着─
1203年4月。本拠奪還を目指す平家は、志摩で橋頭保構築のため拠点包囲を開始。その平家軍が補給のため分散することを掴んでいた頼朝は、志摩を急襲。 要塞を利用して戦況を有利に運ぶも、後詰が間に合わず敗北する。
結果は出ませんでしたが、頼朝は平家軍をもう一押しで瓦解させる手ごたえを感じていました。 1203年8月。川越に退いて軍勢を立て直した頼朝。
平家軍が志摩と熊野に分かれていることを確認すると、再び志摩へ進撃します。 ここが勝負所だった。
「今こそ、源氏の名を取り戻す時!」
再戦の火蓋が切られると、頼朝軍は怒涛の勢いで攻めかかった。 相変わらずの兵力差をものともせず、果敢に攻めかかる騎馬武者たち。 補給不足で弱った平家軍は踏みとどまれず、ついに総崩れとなります。
第2次志摩合戦では、源氏の損害1500に対して平家の損害5500という大勝。 この一戦で四散した平家軍を、容赦なく追撃する頼朝。 1204年に行われた山本の合戦で、全滅に近い損害を出した平家は遂に戦意喪失。 1204年3月。頼朝は反乱の目的をついに達成したのです。 平家は降伏を申し入れ、ここに源氏の悲願が成就しました。 では、念願叶った頼朝さんから一言お願いします。
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| そんなだから正当性低いんだよ…。 |
気を取り直して次回、これ以降の鎌倉政権を紹介します。
シルクロードの革新性でも取りに行って、実績を貰いましょうかね。それでは。


























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