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CK3実績 一つの時代の終わり(6)

2024/01/31

皇帝たちの肖像

 16~18代目。ついでに達成できる実績が…欲しいです…。でも、もう少しで1453年…!

第6回

16代目 アルバール1世帝【1346~1368】~ローマとの決別~

東西教会の統一

 先帝の方針を継続し、キリスト教の大分裂修復を目指す。
主に、シリア方面への拡大路線を続けた。

 聖地エルサレムを勢力下にした後、モサラベ派はカトリックと決別。独自の宗教指導者を擁立するとともに、イスラム教に歩み寄る路線へ移行した。

 続けて、東方教会の総本山コンスタンチノープルを包囲。
難攻不落で知られるビザンツ帝国の首都であったが、多数の攻城兵器を用いた包囲戦には敵わず陥落。
これも実績にして欲しかった…
 著名な聖地を勢力下に置いたことで、東西教会の分裂を修復を宣言した。

カトリック教皇の捕縛

 後日、口実を付けてカトリック教皇を捕縛。
なんか知らないけど、公に捕縛していい罪を犯してたので捕縛。

 教皇から最後の領地を没収することを試みたが、民衆の中にはカトリックの支持者が未だ多く、それは果たせなかった。
(と、書きましたが、システム的に剥奪できませんでした。)

17代目 ローマン帝【1368~1402】~偏執病と向き合いながら~

皇帝の「病気」

 ローマン帝は偏執病(パラノイア患者)で、関わる人々全てに疑いの目を向けていた。
自分の地位・権力・財産を狙っているのではないか…と。
驚異のストレス+100%。倍率ドン!更にドン!
 政務で多くの人と接し、決断をする皇帝にとってその病気は致命的であった。
パラノイアのせいで、すぐストレスが溜まります。
 浪費癖があった、酒色に溺れていた、引き籠り…などと後世の歴史家に好き放題書かれているが、ストレスと向き合うには止むを得なかったのだろう。

 ただ一人を除いて処罰や粛清をしていないことからも、妄想癖と何とか折り合いを付けていたことが伺える。

ただ一人の処罰者

 カトリック教皇だけは、苛烈な処分を受けた。
ただ一人
 彼はまず、先代によって牢へ繋がれていた教皇を釈放して独立を与えた。
ただし、教皇領の領有権を密かに得たうえでの独立であった。

 かなりの財力・兵力を有する上に、未だ信徒への強い影響力を誇る教皇。
皇帝はそれを脅威に感じていたと言われている。
 土地の領有権を名目に、教皇領へ宣戦布告。
伯爵領1つで兵力45000!
 この時、教皇側の兵力は4万5千名であったと伝わる。
伯爵領主としては圧倒的な兵力であるが、兵力差の前に勝負は見えていた。
 教皇は講和に応じ、領土は没収された。

教皇領の解体

 全ての教皇領を剥奪した皇帝は、その解体を宣言。
かつてカトリックの教皇であった男は、その後1人のモサラベ信徒として余生を過ごしたと伝わる。
教皇領の解体を決断。
 この出来事の後、モサラベ派はますます主流となっていった。

※ローマ帝国の再建の実績を目指そう思い、イタリア全土領有を目指してみました。
帝国再建の決断が出ないので、諦めましたが…。

18代目 アルバール2世帝【1402~1412】~惰性の被害者~

 アルバール2世帝の時代は、記録が散逸しており事績が不明なものが多い。バルカン半島への勢力を進めていたと伝わる。

 実績が無くて、惰性で進めてました。ゴメンナサイ。
遺影しかない…
 残すところ、あと31年です。やることが…ない。