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CK3実績 ゴール朝編④ ダレイオスの復讐"Darius Revenge​​"

2024/09/16
  CK3の実績プレイ記録、ゴール朝の台頭続編です。
継続データで、「ダレイオスの復讐」を狙って行きます。「Legacy of Persia」で追加されたものです。
xで見かけて、誘惑に負けて使ってみました。

 実績の元ネタは、文字通りダレイオス一世からだと思います。
ダレイオス一世 アケメネス朝の王(在位:紀元前522年 - 紀元前486年)。
僭称者とされるスメルディス(ガウマータ)を排除して王位に就き、王国の全域で発生した反乱をことごとく鎮圧して、西はエジプト、トラキア地方から東はインダス川流域に至る広大な領土を統治した。【Wikipediaより】
 うわぁ恥ずかしい。アレクサンドロスに敗れたダレイオス3世っぽいです。
そのほうが「復讐」という意味もしっくり来ます。

歴代の王一覧

※リンクで各時代へ移動します。
三代-2 獣帝改め「聖別帝」フーシャング(この記事)

達成条件

・イラン系統文化の人物であること
・ペルシア帝国、テッサロニカ王国、ヘラス王国を保有すること
 ペルシア帝国は所持済。両王国は、ビザンツ帝国の中心地ですね。

 Wikiには保有=称号所持と記載されています。…え、称号所持だけでいいの?
ならば、最低限領土を獲得して、称号を作成して試してみましょう。
※駄目だった時に備えて隙あらば宣戦布告、領土も獲得していきます。

西進(962~)

 さて、プレーを進めていきます。基本的には西側への拡張となります。
ビザンツ・アッバース両大国と雌雄を決する必要があります。
兵力ではこちらの方が勝っていますが…。

ヒヤリとするポップ

 前回の実績達成後、ゲームを再開すると嫌なポップアップが。
内乱発生です。少し焦ると同時に、そんな大派閥あったかなぁ?と訝しみましたが…
 相手兵力は2000程度で、大したことはないですね。むしろなんで蜂起したんだ…?
この反乱は一蹴され、哀れ2名の領主は領地没収の目に逢いました。反乱は計画的に。

ディヤール・ラビーッア領征服

 鎮圧後の965年、外征再開。まずは近くのアッバースと開戦。
今回攻め取るのは上記の範囲です。
ビザンツに平地で近づけるルートが欲しかったのです。
 2万の兵を常備軍含む主力部隊と、攻城兵器+招集兵の攻城部隊に分けて侵攻開始。
 攻城部隊は更に幾つかに分けて、同時に占領を進めます。
主力部隊は近くに待機、敵襲来時には迎撃に向かわせ…
 向かわせる事態は生じませんでした。内乱鎮圧でもしてたのかな?
結局、アッバース軍の姿を見ることなく、要求領土を制圧。
皇女を人質とすること、領土を割譲することを条件に休戦協定を結びました。

橋頭保を築く(966~)

獣帝改め…

 気が付けば、血統の聖別が可能になっていました。
 メリットしかないと思うので、実施。
 「獣帝」から、「聖別帝」へと異名が変わりました。
後者のほうが、知的でいいですね。

ビザンツへの橋頭保

 967年、トラケシオン公国を目標に定めます。目標はカリーポリス伯領(赤丸)です。
 ここを奪取すれば、ビザンツ首都のコンスタンチノープルを一気に衝くことができます。
本国の守備はがら空きになることを意味しますが、そのリスクを背負っても有効だと思います。
 善は急げで、カリーポリスを占領。
文字通り、ビザンツ帝国の喉元に刃を突き立てました。

コンスタンティノープル包囲(971~)

ビザンツ帝国戦

 軍の再編成が完了した971年、ビザンツ帝国へ宣戦布告。
ガリーポリスへ集結した兵は各地へ展開していきます。首都は目の前!
 今回も、主力と攻城部隊に分けて編成。
主力部隊はビザンツ軍本体を捕捉、これに壊滅的打撃を与えました。

 攻城部隊は、コンスタンティノープルの城壁へ挑みます。陥落は目の前…。
 そして、オスマン帝国に先立つこと約500年。
972年3月13日、コンスタンティノープル陥落。
 皇帝、后妃、皇太子を一挙に捕える大戦果。
 身代金をがっぽり頂いた上に、貸し(フック)を作り、更に皇太子を人質にとる条件で講和。当然、旧帝都はゴール領となりました。

ビザンツ帝国再戦

ブルガリア王国侵攻

 974年11月、ブルガリア領となっていたプリーシス伯へ侵攻。
 これをゴール領としました。
コンスタンティノープル~ガリーポリス間が地続きとなりました。
システム上は特に何も変わらないのですが、これで地図がスッキリしました。

「悪癖」再び

 975年11月、息子ファルザード暗殺。
 下手人はアルミーン。同じく、息子。
兄弟同士が争う悪癖は、残ったままのようで…。

仏教徒帝誕生

 翌月12月。ビザンツ皇帝の死去に伴い、人質エイレナイオスが皇帝に即位。
ゴール人質時代に仏教徒に改宗した彼は、そのままビザンツ帝に。
 ここに、ビザンツ仏教が爆誕しました。
…と同時に、休戦協定も反古となりました。

 ということで…977年、ビザンツ帝国に再侵攻開始。
 ストリュモン公領の割譲を条件に、再度ビザンツ帝国と休戦協定を結びました。
 テッサロニカ国王を名乗るのも、遠くないですね。
ヘラス王国はまだまだですが…。

崩御(981)

  981年8月20日。在位期間43年にして、フーシャング帝崩御。
当初は獣帝と呼ばれていましたが、後半生の実績から聖別帝と称されています。
 嫡子のクバードを後継者として、実績達成へ向かって進んでいきます。