「一つの時代の終わり”End of an Era”」の実績解除を目指しつつ、他実績も解禁していく記録です。第6回。
シリーズリンク一覧
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本シリーズの一覧は下記リンクよりどうぞ。・第1回 イベリアの妥協者(860~960)
・第2回 イベリア統一(960~1055)
・第3回 アテナ?の闘士(1055~1134)
・第4回 蒼き狼登場(1134~1253)
・第5回 独仏進出(1253~1346)
・第6回 教皇領の破壊(1346~1412)←本記事
・第7回 一つの時代の終わり(1412~1453)
皇帝たちの肖像
16~18代目。ついでに達成できる実績が…欲しいです…。でも、もう少しで1453年…!
第6回 |
16代目 アルバール1世帝【1346~1368】~ローマとの決別~
東西教会の統一
先帝の方針を継続し、キリスト教の大分裂修復を目指す。
聖地エルサレムを勢力下にした後、モサラベ派はカトリックと決別。独自の宗教指導者を擁立するとともに、イスラム教に歩み寄る路線へ移行した。
続けて、東方教会の総本山コンスタンチノープルを包囲。
難攻不落で知られるビザンツ帝国の首都であったが、多数の攻城兵器を用いた包囲戦には敵わず陥落。
続けて、東方教会の総本山コンスタンチノープルを包囲。
難攻不落で知られるビザンツ帝国の首都であったが、多数の攻城兵器を用いた包囲戦には敵わず陥落。
著名な聖地を勢力下に置いたことで、東西教会の分裂を修復を宣言した。
カトリック教皇の捕縛
後日、口実を付けてカトリック教皇を捕縛。なんか知らないけど、公に捕縛していい罪を犯してたので捕縛。 |
教皇から最後の領地を没収することを試みたが、民衆の中にはカトリックの支持者が未だ多く、それは果たせなかった。
(と、書きましたが、システム的に剥奪できませんでした。)
17代目 ローマン帝【1368~1402】~偏執病と向き合いながら~
皇帝の「病気」
ローマン帝は偏執病(パラノイア患者)で、関わる人々全てに疑いの目を向けていた。
自分の地位・権力・財産を狙っているのではないか…と。
驚異のストレス+100%。倍率ドン!更にドン! |
政務で多くの人と接し、決断をする皇帝にとってその病気は致命的であった。
パラノイアのせいで、すぐストレスが溜まります。 |
ただ一人を除いて処罰や粛清をしていないことからも、妄想癖と何とか折り合いを付けていたことが伺える。
ただ一人の処罰者
彼はまず、先代によって牢へ繋がれていた教皇を釈放して独立を与えた。
ただし、教皇領の領有権を密かに得たうえでの独立であった。
かなりの財力・兵力を有する上に、未だ信徒への強い影響力を誇る教皇。
皇帝はそれを脅威に感じていたと言われている。
土地の領有権を名目に、教皇領へ宣戦布告。
伯爵領1つで兵力45000! |
伯爵領主としては圧倒的な兵力であるが、兵力差の前に勝負は見えていた。
実績が無くて、惰性で進めてました。ゴメンナサイ。
残すところ、あと31年です。やることが…ない。
教皇は講和に応じ、領土は没収された。
教皇領の解体
全ての教皇領を剥奪した皇帝は、その解体を宣言。
かつてカトリックの教皇であった男は、その後1人のモサラベ信徒として余生を過ごしたと伝わる。
教皇領の解体を決断。 |
この出来事の後、モサラベ派はますます主流となっていった。
※ローマ帝国の再建の実績を目指そう思い、イタリア全土領有を目指してみました。
帝国再建の決断が出ないので、諦めましたが…。
18代目 アルバール2世帝【1402~1412】~惰性の被害者~
アルバール2世帝の時代は、記録が散逸しており事績が不明なものが多い。バルカン半島への勢力を進めていたと伝わる。
遺影しかない… |
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